2012年2月9日 宮城県名取市
仮設住宅でのお花のワークショップ。

 まず、今回ご縁あってこの企画にお招きいただき、多大なるご協力をいただいた、東北大学のボランティア活動のみなさん、企画からお手伝い頂いた小澤孝彰くん(彼の提案で今回の仮設住宅でのお花のワークショップが実現しました)、そして諸々の事務手続き、進行を全面にバックアップしてくださった名嶋義直教授に心から感謝致します。
 遠方からの参加を快く受け入れていただき、小さな疑問、相談にも丁寧にお答えいただき、当日はもちろん、事前の準備もおかげ様でスムーズに進めることができました。ありがとうございます。ーーーーーーー


ーーーー2月9日当日の朝
 東京駅では連休初日の旅行客で、駅構内は何だか賑やかで、行き交う人たちは皆そわそわと浮き足立っている印象でした。

 約2時間の移動距離を経て、名取に到着。

 

 仮設住宅に足を踏みいれた瞬間。さっきまでの東京の賑わいが嘘のように、

あまりにも殺風景で想像以上に寂しい空気が漂っていました。
 二月にしては暖かい天気に恵まれた一日でしたが、そこを吹く風は何となく、東京からの来客を冷ややかに出迎える厳しい風に感じました。

 小澤くんの案内で仮設住宅を周りながら、過去のワークショップや、イベントの様子、被災地でのボランティア活動における注意点などを聞かせてもらいました。
 印象的だったのは、「善良な被災者ばかりではない」という言葉。
辛い状況に健気に耐える善良な人たちという、我々が作った被災者像。
もちろん名取のみなさんはみんないい人達ばかりでしたが、

日々の生活の中で、ストレスも溜まれば、我がままも言う。
これは、どこに住む人たちも同じであるということ。
 被災地でのボランティア活動において、この食い違いから生じるトラブルも全く無いわけではないようです。
被災地を訪れる側の勝手なイメージの押し付け。これは、自分の中にももちろんありました。
どんな声をかければいいのか、どんな心持ちで接したらいいのか。
住民のみなさんに会うまではそんな心配が頭の中にはありました。


 ワークショップのスタート時間になって、
ちらほらと参加者のみなさん(ほとんどが高齢のおばあちゃん)が集会所に現れ始めました。
 僕の頭の中の心配をよそに、用意した材料を詰めた木箱を勝手に開けはじめ、触りはじめ、並べ始めるおばあちゃんたち。

 今回のワークショップは、ドライフラワーを使ったループタイのアクセサリー制作。木箱には、二つ分のループタイが作れる花材を春のちらし弁当のようなイメージで詰めました。
 僕としては、このちらし弁当なるものをまずは目で楽しんでいただければというコンセプトを伝えたかったのですが、、、(まぁそんな雰囲気ではなさそうだったので即効諦めました。)

 次なる仕掛けは、香り。
花材にラベンダーを中心にブレンドされたアロマオイルを数滴染み込ませておきました。

これに気づいたおばあちゃん方が
「あぁ〜いい香り〜」と方々で歓声をあげ始め、
表情も一気に和み、部屋の空気が柔らかくなりました。
ここでようやくぼくもホッとしました。
何となくこの香りとともに僕自身もここに溶け込めたような気がして、
頭のなかの心配事とはここでおさらばしました。

 後は、野となれ山となれ。
細々と進行のシミュレーションを企ててましたが、
そんな進行通りに行く雰囲気では到底なく、
もう自由にやっちゃって下さい!という感じのスタートでした。
 考えてみれば、この仮設住宅に住む方々は、かつて港町に住んでいた海の人たち。ドライフラワーでアクセサリーやアレンジメントをするなんていう事とはなかなか縁のない人たちでしょう。
お行儀よくアクセサリー作りをするような空気を作ろうとしていたこちら側の押し付けにすぎなかったのです。

 同時進行は到底困難なので、個々に回って、お花の組み方や、リボンの巻き方を教えていくうちに、ここにいるおばあちゃんやおじいちゃんが(高齢の方ばかりではありませんが、、、)とても可愛くて、愛おしく見えてきました。
お花を髪にあててはしゃいだり、方言を教えてくれたり、細かくて難しい作業は全部丸投げされたり、、、

 とてもひょうきんでお茶目。ピンクのお花をいっぱい使いたい!と、まるで少女のように目を輝かせ、出来上がったループタイを二個も三個も首にかけ、写真はかわいく撮ってちょうだいよというリクエストまで。

 ここまでくると、もう場所も年齢も関係ないのではとすら思いました。
綺麗な色のお花を飾ったり、眺めたり、香りを嗅いだり
この事に関しては、どんな状況の人でもやはり同じ。
喜び、感動し、心踊らせる。
すごく人間の原点のような気がして、
ワークショップ自体がとてもあったかい世界になっていました。

トラブルもなく、約2時間の和やかな時間が過ぎました。

 二つ分のループタイが作れるこのBOXには、
「あなたとわたしのギフトBOX」という名前をつけていました。
ワークショップで作り方を覚えて帰っていただいて、後日大切な誰かにもう一つをプレゼントして下さい。という僕なりのメッセージを込めた春色のお弁当箱です。
このコンセプトに関しては、名嶋教授にもご理解いただき、喜んでいただけました。

 ただ、教授から一つご指摘いただいたのは、
この仮設住宅の方々の中には、大切な誰かを亡くされている方もいます。なので、「大切な誰か」というキーワードはあまり全面に押し出さず、気をつけて使っていただければということでした。
これを聞くまで僕は、「大切な誰か」という言葉の攻撃性に全く気づいていませんでした。

 一見明るく和やかで、茶目っ気たっぷりなこの方々の心の奥底には、
あの大きな黒い塊の恐怖を知らない僕なんかにはきっと想像も付かないような、深くて暗い傷あとがどうしようもなく存在してしまっているんだと思いました。

名嶋教授のご配慮でワークショップ終了後、この仮設住宅の方々が震災に合うまで実際住んでいた、名取市の閖上(ゆりあげ)という津波の被害が大きかった地域を見させていただきました。

 ニュースやyou tubeに出てきた、津波にのまれいく学校や消防署、歩道橋など。
モニターの向こうの世界が目の前に現れました。
辺りは、全て黒と茶色の印象でした。
瓦礫は撤去され全て片付いている代わりに、
それ以外のものもありませんでした。
 本当にここであのお茶目なおばあちゃん達は生活をしていたのだろうか、はたまた、本当にここであの大きな災害はあったのだろうかと思うくらい静かで、まっさらで、ただ抜け殻になった大きなコンクリートの建物だけが取り残されているといった感じでした。
しかし、ぐにゃぐにゃに折れ曲がったガードレールは、やはりここでただ事ならぬ事が起きたという事実を物語っていました。

 この土地と、この日会ったおばあちゃんたちのこころの奥底には、
同じような黒くて深い悲しみが染み付いてしまっているのかなぁと、
ふと思いました。

 今回の仮設住宅での約2時間のワークショップで
僕が出来たことは、地域の方々の触れ合いの切っ掛け作りに過ぎません。ちょっと難しいギフト用水引の梅結びの結び方を、みなさん必死で挑戦してくれましたが、きっと今頃はもう結び方も忘れてしまっているでしょう。
 でも、東京に帰ってきた僕の中では、仮設住宅でワークショップをした経験や、海にのみ込まれた港町の跡形を見たという経験は、とてつもなく心のど真中にいて、日々を支えています。

 名嶋教授がおっしゃっていました。
被災地にボランティアに来るのは、
最初はみんな自分のためだし、それでいいんだと。
自分の心の癒しや、良いことをしたという満足を得るために
ボランティアに来る。
そのちょっとある我欲みたいなものでさえ、
誰かの役に立ったり、誰かの幸せに繋がるのであれば
それはもう万々歳だと。


 ちょっと地味な色のセーターを着て、鮮やかなループタイを首からかけたおばあちゃんの写真を見ると、少し大げさかもしれませんが、僕が持ち込んだ春色のお弁当箱は、閖上の殺風景な更地の大地や、おばあちゃんたちの心にほんの一部、鮮やかな花を咲かせる事が出来たのではないかと思えてきます。
  そして、それ以上に僕の心の中にも、あの日会った閖上の方々のあったかい笑顔が春の花のように咲き続けています。


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